10月9日
神無月(かんなづき)を知ろう

&

和語歌(わごうた)かるたワークショップ

開催レポート

1、清子先生の挨拶

9月のCAA開催中止のお詫びと代表七澤賢治の思いについてお話しました。



9月のCAAを中止とさせていただき、申し込みをしてくださった方々には本当にご迷惑をおかけしまして、心よりお詫び申し上げます。

白川学館の代表でもありました私の父、七澤賢治が他界しまして、神葬祭と重なってしまい、このような決断をさせていただきました。


父は、このCAAをとても大切に思っていました。

子どもたちに、なんでお祓いをするのかというのを常々考えていまして、それはやはり、一番最初に、お祓いという言葉が言祝ぎ(ことほぎ)であると。

つまりは、天皇陛下をお守りするとても強い結界になるものである。

そして、それと同時に、お祝いの言葉であるとよく申しておりました。


もう一つ、よく父が言っていたのは、御魂磨き(みたまみがき)ということです。

自分の心も体も、そして魂までも磨いていく、そういった父の意志を継いで、これからもCAAを私なりにそして、皆さんのお力を借りながら一生懸命すばらしいものに作り上げていきたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。

2、鎮魂

オンライン上で皆さまと5分間鎮魂いたしました。

ご参加いただいていたお子様たちが真剣に鎮魂石

を見つめ、じっとしている姿が印象的でした。

3、祓詞 (大祓なしバージョン)

祓詞は、献饌している様子からご覧いただき、

久しぶりにCAAバージョンの大祓なしでの奏上でした。

お子様も画面越しの神殿をじっと見ていました。

お祓いが始まった瞬間から、第二祝殿の空気が一気に清浄に包まれ、

オンライン上の方々にも伝わっていたのではないかと思います。

4、斉藤宮司より、「神嘗祭、神議について」

「神嘗祭」「神議」についてお話しました。以下、内容を一部、掲載します。


日本での10月という月は古い言葉で『神無月(かんなづき)』といいます。

もう少し古い言葉ですと『かむなづき』『かむ』というのは『神』に通ずる言葉です。

漢字でも『無(なし)』という字をあててます。つまり、【神様がいなくなる月】とも表現できます。


『神議(かみはかり)』というと『神』の『はかり』。『はかり』というのは、古い言葉で会議をする。

つまり、神様が集まって一緒にお話をするという意味。

出雲という場所に集まり、今年の成果を報告しあい、いろいろと話し合って来年より良くしていきましょうという、そんな集まりの行事が『神議』で​​す。


『神嘗祭』というお祭りがあります。漢字では『神』に『嘗める(なめる)』要するに、『なめる』というところから『食べる』という意味にも繋がります。

つまり神様に召し上がっていただくお祭りということなんです。

お祓いの時に、献饌させていただいた三方というものがあります。それが最も大事な、神様にお捧げして食べていただくもの、嘗めていただくものです。
そして、嘗めて、食べてもらうものを今度は、神様と一緒に人が食べるというお祭りが古くから行われてきています。

それが実は『神嘗祭』というお祭りの意味でもあるんです。

5、清子先生より、「神無月/神議に関する古事記の朗読会」

今回朗読した著書は


かみさまのおはなし


本の中の「かみさまのごそうだん」を朗読しました。

内容はこちら↓

https://s.neten.jp/KQGNi

清子先生のお話の一部を掲載します。


『和を以て貴し』という日本文化があります。

『和を以て貴し』というのは、何をするにも皆が仲良く喧嘩もしないで。

争わないのがとても良いよということ。

それは、多数決でたくさんの人が良いといったから決めるでのはなく、みんなが良いねと納得できるまで、三日三晩でもずっと、ずっとお話をしていた。

これが昔々の日本における物事の決め方だったんです。


みんなが精神DNAをもっていて、一人一人がそのスイッチをピッて押せば、

古事記の神様たちみたいに、皆もたくさんの人のことを考えられるようになる

んじゃないかなと思います。

今、世界はそういう方向に実は動いています。SDGsとか、LGBTとか。

民族間や人種へのそういう働きかけというのは、神様が小さい人たちの声もくみ取って

くれたように、今、世界はそういうふうに変わってきています。

6、和語歌(わごうた)かるたを作ろう!

※和語歌とは

その時に思ったことや感じたことなどを素直に言葉にし表現します。

俳句や和歌のようなルールはなく、何を書いても大丈夫です。

今を、そのまま表現する事で、一音一音の響きから生まれる言葉の原点に還り、新たに言葉を創造し、

表現することに繋がっていきます。


皆さんには、「秋」をテーマに思い思いの言葉で書いていただき、

ご自身のオリジナルかるたを作っていただきました。


例えば、


「なにしよう あきのたのしみ もりだくさん」


「【あ】さはすずしくて、【き】もちいい」


五、七、五で書けたら書いてもいいし、【あき】という言葉で作ってみてもいいし、絵を書いてもいいんです。


お子様には、思いつく言葉を発表していただきました。


今回、色とりどりの千代紙をお送りしていて、

好きな色や柄を選んで、手でちぎっている子、ハサミで綺麗に切っている子、

千代紙の貼り方にもそれぞれの性格や個性を感じました。

手を使うワークショップはやはり楽しいようで、黙々と作っている姿が印象的でした。

〜高濱清七郎先生の和歌のおはなし〜


この和歌は、高濱清七郎先生という方が白川のおみちの学びで昔、

とてもご修行なさって、今の私たちに学びを繋げていただいたとても

素晴らしい先生がいらっしゃいます。

その方がお作りになられた和歌集の中の一つの句を改めて読ませていただきます。


『草も木も人はなおさら真砂まで神の社と知る人ぞ神

(くさもきもひとはなおさらまさごまでかみのやしろとしるひとぞかみ)』


草も木も、そして私たち人も、小さな小さな石ころ1つでも、

すべてが神様が宿る大切な大切な入れ物。

そういうことを知っている人こそが本当の神様なんだよということを書いてあります。

先程、神様はどこにいますか?と、質問をしました。

「どこにでもいるよ」と、お話ししましたね。

それが、この句にはすべて詰まっていて、「皆がみんな神様なんですよ」ということ。

心の中にある『魂(たま)』というのがみんなの身体の中にあります。

身体は、魂の入れ物なの。

卵の殻みたいにパカンと割ったら中から黄身、白身が出るじゃない?あんな感じで、

外側は殻だけれども中には本当に大切な物が入っている。それが『御魂(みたま)』です。