CAA Reports002 2018-9-6

理想の教育を超えた「本質」とは?

七沢 智樹(CAAカリキュラム担当)

七沢智樹講師の講話

■「理想の教育」は、実は存在しない!?

子育てをする時、多くの方は「理想の教育」というものを求めるものだと思います。たとえば有名な幼稚園や保育園の教育であったり、「○○式」、「○○能力開発法」といった類のものです。しかし、実際に理想の教育というものは存在しません。少なくとも、私たちのスタンスとして、教育における理想というものを語るべきではないと思っています。なぜならば、理想というものをつくると、主体が失われ、そこに「別のもの」が入ってしまうと考えるからです。私たちの見据えているところ、そこにはただ、「本質」があります。本質とは「自然」「命」という言葉に置き換えることもできるでしょう。詳しくはAcademyのなかで詳しくお話していきます。

■「神」の階層を掴むために

Child Arts Academyでお伝えしたいこと。それは、「自然を修め、言語を修め、神を掴む」ということであるのです。そして神を掴むためには、まず自然を修め、言語を修めるということがベースになりますが、この自然の部分が感性あるいは情緒、また言語の部分が「倫理観」を育てることにつなっていきます。そういった意味でいうと、言葉をしっかりと使える子というのは倫理観が育成された証、ともいえるのですね。私たち日本人というのは「日本語」という言語を通して、長い歴史のなかでこの倫理観といえるものを育んできました。そして倫理観(知)、感性(情)の階層の上にある「神」を掴むためには、土台となる非常に大切な部分であるといえるしょう。

理想を超えた本質と教育

私は今、校長と一緒に

Child Arts Academyの指針となるものを構築しております。


こちらは当初より、随分とまとまってきまして

私の中では、ほぼ出来上がっている状態です。

私は、会社で研究開発をさせていただいていますので、

常にVRをやっていたり、

暗号通貨をやっていたり、

最近だとAIなど、そういった分野も含めて行っているのですが、

こうやってさまざまな分野を網羅していくと、

ある時、一気に「繰り上がる」ということが起こります。


そこで概念として、

「教育とは一体、何であるのか?」

ということが見えてきます。


清子校長も先ほどお話していましたが、

よくまとまってきた、という実感があるんですね。


ではなぜ「よくまとまってきたのか?」といいますと、

「教育」という視点は結局のところ、

研究所から皆さんに通常お伝えしているようなことと

全部繋がるから、ということです。


その源、原点となるのが

「命」ということになるのだと思います。


教育も同様で、

「命」というテーマが

非常に重要になってきます。


命がなぜ生まれたのか?

なぜ生命が生まれたのか?

なぜ哺乳類が生まれたのか?

なぜ人が生まれたのか?

なぜ現代人が生まれたのか?

なぜ我々が生まれたのか?

なぜ子供が生まれたのか?


といった根源的な問いが、

全て網羅されてくる、ということです。


そのことをさらに深く追っていくと、

「命」の意味というものが見えてくるわけです。


そういう意味では

それをやるだけでいいのかな、

むしろ、それしかないのかな、と思っています。

要するに、理想の像というのはないんですよ。


「理想の教育」というのはないのです。


それを、“ある”と思った時点で、

むしろ全部失敗すると、私は思っているんですね。

確実に、(理想の教育というのは)ないのです。


これは次の部分、

他のところでも私がお伝えしていることではありますが。


ではなぜ理想像について語らないのかというと、

理想というものを作ると

そこに別のものが入ってしまうから、

つまり主体性が不在になってしまうからなんですね。

そして主体が失われると、

本人ではなくなって、

そこから「逃げてしまう」ことになるわけです。


世間では一般的に、

理想の教育とか、

○○式が良いとか、

○○が良いとか、

いろいろ良い方法がすすめられていますね。

Child Arts Academyが良い・・・とか(笑)。


となると、

皆さんはもしかしたらChild Arts Academyに

理想の何かを被せていっているかも知れないですし。

これは意識する、しないに関わらずです。

無意識にも、理想の姿を重ねてしまっているわけです。


しかし、それはないのです。

理想のもの、というのはないのです。

では何があるかというと...

そこには端的に、

「本質」がある、ということです。

それを「根源的なもの」と表現していて

Child Arts Academyでは

皆でそれを求めていく、追求していく、

ということをやっていきたいと思っています。


それはやはり戻っていくと、


命とは何なのだろう?

私たちの存在のルーツとは何なのか?

生きるとは何なのか?

人間とは何なのか?


ということを、

ここで網羅していくと、

私たちが生きるということ、

「生きる」とはつまり「自然」そのものである、

という本質に気づくことになるわけです。


しかし「生きとしいけるもの」であるとはいえ

動物は人間と違って、客観視をすることができません。


それはなぜかというと、

動物は「言語」を持たないからです。


つまり端的にいうと

動物と人間を分けているのは、

「言語」ということになるのですね。


Child Arts Academyの時に、

「根源的なものからカリキュラムを作りますよ」というのは

ご案内させていただいているので、

皆さんもご覧になっているとは思うのですが。


そこで、

進化の過程から「教育」というものを捉えた時、

「本質を捉えられる」

ということを言っている人がいるだろうと思って

検索をしてみたところ、

一発でこの『進化教育学入門』という本が出てきたので、

ここでご紹介したいと思います。


この本の著者である小林朋道さんは、

鳥取環境大学という2000年くらいにできた

比較的新しい大学の教授でいらっしゃいます。


たまたま私の父が鳥取大学の農学部の教授をしていましたので、

父に聞いてみたら知らなかったのですが。

せっかくですので今度、

一度お訪ねしてみようと思います。


私の父はどちらかというと

農学部でも分子とか遺伝子の方の研究をしていたので

少し分野が違いましてね。

いわゆる生化学の方では遺伝子を見たりするなど、

そちらの方向から生きものを捉えていくと、

実は“本質”が見えにくくなってくる、ということが起こります。


つまり 病気を治すという時には

生化学の遺伝子レベルからのアプローチにより

治癒へ導くという方法には使えるのですが、


「動物」というのは何だろう?と

マクロの視点からその本質の部分を捉えようとする時には、

「動物行動学」からのアプローチになるんですね。


そして、それは「人間行動学」にも重なっているのです。


小林朋道さんは動物行動学の研究者で、

動物というのはどういう行動をするのか?

ということについて研究されているので、

その点でChild Arts Academyの理念、

そしてベースにある“本質”に通じるものを

理解するために、非常に役に立つと感じております。

ただし、

動物と人間は「階層」が違います。


・人間 行動学

・動物 行動学


ここで私が何が言いたいのかといいますと...

「根源的なもの」、

「自然」から生まれているところは、

人間の「動物」の部分から、ということなんですね。


それはなぜかというと、

人間はもともと"ヒ"トという動物であったからです。


人類の始祖と言われているホモサピエンスが進化して、

今の人間の原型ともいえるような「ヒト」になり、

さらに進化して「人間」になった、と言えるわけです。



人間 行動学

自然 →

動物 行動学



これは本にも出ていることなのですが、

例えば、物を上に向かって投げたとしますね。


すると通常であれば

投げた物が上に飛んでいっていまいますよね。

では、ここで働いている力というのは

いったいどこに向かって働いていると思いますか?


上に投げて飛んで行っているボールに働いている力は

図の a b 矢印でいうと...

(大島:上下、両方働いてますよね)

と思いますよね。


ありがとうございます。


物理学でいえば、当然そうなりますよね。

上に投げると「慣性の法則」で、

この飛んでいる時でも(上にあがっていく間も)、

下方向に重力が働いているわけですから。


つまり

上げる瞬間には上に向かって力が働いていますが、

上がった直後、

それから飛んでいる時というのは

上方向に向かう力は、ないと思うのですよ。


簡潔にいえば「慣性の法則」で上がっているだけで、

実際のところ、重力では下に矢印が向かって

力が戻ってきている、と言えるわけですよね。


ということは、

投げているこの力に働いているのは、

下方向だけ( 図a ) ということになるんですよ。


私自身も物理の時に、

「お、そうか!」とうなった記憶もありまして。


さて、ここで話を一度整理しましょう。

要は、人間というのは、

「プライミング記憶」といって、

これはわかりやすく説明すると

速読の時に役立つような記憶のことを指しますが、

人は、たとえば文章を読む時など

何か違う言葉を文章のなかに書かれていて、

それがたとえ間違った言葉であっても、

その一語を読み飛ばしてしまう、ということが

当然のごとく起こりうるわけですね。


逆に言えば、

全部まじめに読んでいたらとても読み切れないので、

右脳的な働きを駆使して

全体をブロックのようにまとめて捉えて

直感的に処理を行う。


そのような働きはたとえ論理的にズレていたとしても

コミュニケーションは

成り立つようになっているのです。


先ほど清子校長から、

先ず“自分自身の生存を守ることが第一”

というお話があったかと思いますが、

そういった意味でいうと、

人が何かしら判断や決定を行う時、

その都度、論理的に細かく考えていたら、

子育ての場合、「子供を守れなくなる」という事態になりかねない、

ということが起こってしまうんです。


子育ては皆さんも経験のなかで実感されていると思うのですが、

予想外のことが本当にたくさん起こりますよね。

そういう時に、一つ一つ論理思考をしていたら間に合わない。

ある程度は瞬発力をもって、

直感的に判断をしていかなければならないわけです。


つまり論理というのは、

子育てのある場面においては、

不利になってしまうことも多いのです。


これは狩猟採集の時代に当てはめてみても

言えることでして。


一刻を争う狩猟の厳しさのなかで、

論理的に考えてばかりいては、魚は絶対捕れないですから。


やはりそこは状況に応じた

瞬発的な判断力が求められるので。


何よりも生存に関わることですから、

論理はさほど役に立たなかったのです。


小林朋道さんはこのことを、

「モジュール」と表現していますが

人間にもやはり

動物的なモジュール、というものがあって

それを知ることがまず必要になってくるわけです。


つまり、これがないといけないのです。


でも、これだけになってしまうと

どこまでも動物的、部分が優勢になってしまって、

粗い、猥雑な人間になってしまいますよね。


いわば本能に基づいた判断になるので。


ですから人間的なモジュールも絶対に必要で、

それが何かというと

つまりそれは「言語」である、というところに行き着くわけです。


つまりこうすると、両方あることになりますね。


言語 →

人間 行動学

自然 →

動物 行動学


ですから端的に言えば、

自然に沢山触れて、

しっかり言葉の勉強をすれば、

人というのは良く育つのです。

「人間の土台」が出来る、ということになりますね。


皆さんにもぜひそのことを確信していただきたいので、

参考図書として、『進化教育学入門』をおすすめします。


私たちからの一つの提案ですが、

この本を読んでいただくと理解と確信も深まって、

なおかつ面白く取り組んでいただけるのではないか、と思っております。


ざっくばらんに言いますと、

動物系の行動学の方に意識が強い人というのは

「霊」的に強い人も多い、というのがあります。


なぜかというと

自然の方向に向かうと、霊が発動するからです。


いわゆる「第5階層」の神の領域から

「第4階層」の意識に降下してしまうからなんですね。


(自然=動物、言語=人間の)もう一つ上の階層に、

「神」(の階層)があるのがお分かりいただけると思うのですが、

「自然を修め、言語を修め、神を掴む」

というのが、Child Arts Academyが、

つまり我々が最も伝えたいこと・やりたいことなのです。



ここ(「神」の階層)を、

「意志」と言ったり、「言霊」と言ったりしますけれども。

意志、言霊 →

言語 →

人間 行動学

自然 →

動物 行動学


ですから、この自然や言語を修めるということ、

勿論、全てなのですけれども、

それは修めてから

「意志」や「言霊」を発動させる、ということなのですね。

「感性」というところに「自然」があって、

「倫理観」というところに、「言語」があります。


そういった意味でいうと

言葉をしっかりと使える子というのは、「倫理観」が育ちます。


一般的に「倫理観」というと

「道徳」というか、観念的になってしまうので

そうなると逆に、

人間的な「霊」の階層に落ちてしまうということもあるわけですが。


本来は、“神の”「倫理観」ということなのです。

そういうものが、やはりあるのです。


この大切な部分を

日本人というのは「日本語」を通して

ずっと共有してきた歴史があります。


その根幹となる日本人の精神性というようなものが

私たちのDNAレベル、あるいは精神遺伝子のなかに

生命の前提として在って、

そのことを

「生まれながらにして人は神である」という一言で表現したり、

それを悟るというような世界が、

また最初からそれを分かっている、

というような世界があったので、今があるんですね。


西洋的に言うと、

それは、動物・人間的な「霊」の階層ということになります。


しかし日本の場合は違います。

基本的にそこの部分を

「神」の概念と捉えるからです。


つまり神道以外に

生命の根源的な部分、

本質を掴めるものはほとんどない、と言えるんですね。


それは、宗教学的にも明らかで、

宗教では、神の存在について問うということを

長い歴史のなかでずっとやっていると思うのですが、

いまだに明確な回答が出ていないわけです。


むしろ、その本質を掴もうとすればするほど

わからなくなってしまう、というようなことも

実際に起こっていまして。


たとえばフランスでは、

もう教会に行かない、という人たちも増えていますし、

カトリックの教会のさまざまな不祥事も起こっているわけです。


そういった宗教の矛盾というようなところが、

現代になって、いよいよ露呈し始めているわけでして。

それは、人間を支配するための宗教になってしまっているからです。


本当のことをいえば

「惟神」(かんながら)の教え、

「神」を掴むための教えというのは、

神道はもちろん、

その起源よりもさらに古いところにあるのですね。


キリスト教の前の時代に、それは確かにあったものです。


そしてそういうものが現代まで水面下で脈々と受け継がれ、

断片的ではあるにせよ、確実に叡智として残っているわけです。


つまり「人間の根源に入っている」と言えると思うんですね。


ですので、最終的には、

「霊」の階層から「神」の階層へ行く、ということを

Child Arts Academyで行っていくことを

今日はしっかりと宣言しておきたい、ということでございます。


ですから

“神の”「意志」、

“神の”「感性」、

いわゆる「神」を掴む「感性」、

“神の”「倫理観」

というものを、意識するといいますか

「なるほど。そうなのかも知れない」と感じること。


感覚のレベルでもいいので

今日は大まかに掴んでいただければいいのかな、思っています。



結局、我々は

動物でもあり、人間でもあって、

さらにいえば

私たちは「神」でもあるのですが。


とはいえ高濱先生が、

「四六時中“神”でいることは大変である」と言った

というお話があるように、

本当にそれは難しいですし、

実際に出来ないのですよ。


ですから、

そこに向かい続けるという「意志」、

「神」に向かい続ける「意志」しか

結局はないのかな、と思っています。


我々ももちろん

常に試行錯誤しながらやっています。


そして、このことを達成した教育というのは、

今までにないのです。


もしそのような教育があったとしたら、

人類はとっくに意識進化をして、変わっているはずですし。


しかし実際には、まだそこまで到達していないですよね。

もちろん教育方法でも素晴らしいものはいろいろあって、

これに近いことをやっているところは沢山あると思いますし、

実際にありますけれども。


それでも本当の意味で、

広く深く完成したということは、

未だかつてなくて、

我々が初めてチャレンジすることであると思っているのですけれども。


それは今取り組んでいる研究に関しても、

同じことが言えるかと思います。


そういった意味も踏まえて、

フロンティアといいますか、

一緒に新しい世界を開拓する気持ちでご参加いただくと、

皆さんのなかでも見えてくるものがあるのではないか、と思います。


あとは「場作り」ということを清子校長もお話していましたが、

その話については、また次回にしようと思います。


Child Arts Academyはこれから

皆さんとしっかり対話をしながら

一緒に作っていきたいと思いますので、

どうぞよろしくお願い致します。


今日はご参加いただき、誠にありがとうございました。